40歳からのブログ MSWの日常

ソーシャルワーカー備忘録。雑記。旅行記。軽く福祉。

【雑記】傷つきやすい人へ 私なりのSNS処世術

私、今歩けないんですよね。車いすに座ることより杖のほうが楽で、松葉杖を利用しています。仕事どころでもないから、家にいるんですけど、やることもないんですよね。モンストはやってるけど。

うちは狭いからモップと掃除機で1時間。ご飯作るのも30分。買い物いけないから、配達を利用する。

手は動くので、iPhoneからブログは書けるな・・・で今に至ります。書きかけ(多分30記事くらい)があるんだけど、書く気がせずにほぼ捨てました。マルタ行った時の話は完結してないし、旅行記だけは何年かかっても書こうと持っているし、社会福祉士の受験の話も続けていこうと思っているので捨てずにいます。

最近、SNSでの誹謗中傷に対する法規制についての記事をみます。法的に訴えることができない場合もあるんだろうなって思います。

私はやられる側だったし、今もたまにやられます。

そのときどう考えたか考え方次第で乗り越えられることもあるかもしれないなと思って、傷つきやすかった(というか今でも基本ネガティブ)私がブログもツイッターもインスタも細々やっていられるかを書いてみたいと思います。

傷つきやすい自分を演じる人は人を傷つけるのが結構上手だと思った

傷つきやすいと傷つきやすい自分を演じる人とは全然違うことを前提とします。

Twitter歴が10年以上である私は、複数のアカウントを持っていました。一番古いアカウントは削除しました。時代は「5人の男女がTwitterで出会う:瑛太・上野樹里主演のTwitterドラマ」が流行ったころ。

まず、Twitterで出会いたい若者が多くいました。私も時代にもれずオフ会に行ったことが1回あったくらいで結構、オフ会が気軽に行ける時代だと思います。

そのころのアカウント名は「まく」=ハンドル名「まく」だったと思います。私が外資系企業にいたとき、あちらのみなさんが私のことを「マック」と呼んだから。

そのころ年齢が年齢だったため、どちらかというとまとめ役だったと思います。

付き合って結婚した人もいれば、一人を言葉で苛め抜いた人もいました。

あの頃は、法規制がどうこうという話はでていませんでした。いろいろ相談される中思ったのは、傷つきやすい人はなぜか人を傷つけるとき、結構おそろしいことをいうなってことです。

なので、自分から「弱い」「守ってほしい」というそぶりをみせる人の話は聴かないようになりました。

その後、私も「死ね」「ババアくるな」など挙句の果てには140字精いっぱいで集中砲火を受けたことがあり、そのアカウントは削除しました。原因は、Twitterで知り合った人が誹謗中傷で悩んでいて、今より考えが若かった私は反論してしまいました。

そして、その分の誹謗中傷が自分に向いたというわけです。

反論するとあんなこと言われたとリツイートされ、自分がどれほど傷ついたかを公開する。傷つきやすいを演じている人はやり方がえぐいと思いました。

傷ついたアピールは半端ない。傷つきやすいのではなく、演じる、そう「したたか」だった人たちから攻撃された記憶があります。私もいけなかったと思っています。でも、「死ね」はないと思う。

ブログも攻撃されたことがあったけど、他人だしと思うようにした

MSW(医療ソーシャルワーカー)という仕事をしているので、MSWという視点から「こう思ってる」と発言するとコメント欄にソコソコ書かれます。「それで社会福祉士?」みたいな感じ。飛行機でのマナーの話をすれば、「そんな人間が社会福祉士?」

そう、そんな人間が社会福祉士なの。はじめは傷ついていましたよ。だって人間だもの。

丁寧に返信をしていましたが、あるときハルさんに「ネットリテラシーって知らないの?」と聞かれました。

ssl.net-literacy.org

今時はこうした検定もあるようです。

▼これも結構興味深かったサイト

www.soumu.go.jp

ネットリテラシーについては、ハルさんの場合小学生のころに授業でやったそうです。ほうほうと、話をきいてみると

  1. インターネット上の違法コンテンツ、有害コンテンツに対処できる能力
  2. インターネット上で適切にコミュニケーションできる能力
  3. プライバシー保護や適切なセキュリティ対策ができる能力

ということらしいです。この適切なコミュニケーション。

言論の自由が認められているから何でも言っていいかというとそうではない。求められているのは適切なコミュニケーション。適切なコミュニケーションがとれない人とコミュニケイトってまず無理。

私に害がない人に対して、マウントとって相手を批判することを私はするかというとそれは絶対にしない。そもそもマウントとらない。そんな人間になりたかないわ。

なかなか、できないかもしれないけど、人間は反射神経を持っているので日々練習。

一方的に人を傷づける人はネット上ではコミュニケーションとれない人だと思うこと。

はじめはアメブロでブログを書いていました。身バレすることなく。しかし、はてなに移動してからなぜか身バレしましたね。こわっ。この話はまたあとで。

プライバシー保護も気をつけて。

最終手段はSNSを辞めること

インスタグラムは写真をのっけては人の写真をめでるだけの私なので、荒れる要素がわからないんだけど、荒れるくらいならやめる。芸能人や何かを伝えなければならない人はそうそうやめることもできないと思います。

ただ、攻撃くらって傷ついてしまう。それでも、SNSがやめられない。

それは一種の中毒とも言えます。依存とも言えます。

とりあえず、距離をとる。それでも、だめならやめてしまう。

案外人は人のことをみていない

それに人って案外自分のことをみていないものです。ツイッターを1か月も放置していたら、コメントがなくなったり存在を忘れられていたりします。

そんなにみられていないことに気づくことも大事かもしれません。

昔だったら耐えられなかった悪口大会

数年前、私がイラっとしたことをブログに書いたことがありました。しかもリツイートもせず、記事もうもれた場所にUPしました。でも、誰かがそれを発見し広めたのか、聞いた話によると朝まで文句を言われていたそうです。

昔だったら、ツイッターを辞めていたかもしれません。

でも、なんせ私いきなり数名からブロックされちゃったし、そこで何を言われても私がブログで言いたいことを言ったのが発端なので、気にすることなく過ごしました。ツイッターのアカウントを日記にしている側面もあって、それを消してしまうことと、このストレスを天秤にかけてみたら、日記のほうが私にとってどうでもよい人たちより大事でした。20代だったら耐えられなかったと思います。

自分のストレス生活とツイッター生活を天秤にかけてもいいのかな。

私なりのSNS処世術ということで話をすすめてきたけれど

私が一番救われたな~と思うのは前述した「ネットリテラシー」の部分だったかなって思います。圧倒的に気持ちが軽くなりました。ブログは言いたいことをいうし、それに対して「よくない」と言われるのは構いません。ただ、相手を傷つけたいだけの発言は悲しむ必要性がないと思います。陰口もしかり。

SNSで何かに傷ついたって人がいたら、自分がターゲットに対して傷つけたりしているかいないか、そうでないなら、ほっておく。

  • 争いに対しては「しらんぷり」が一番楽。
  • 後、身バレはしないようにする。
  • やるならやられることは当たり前だと思う。
  • 鍵垢にする。
  • 最悪、SNSをやめる。

そんなことを考えていたら、意外にSNSで傷つくことが減りました。ないと言っても過言ではありません。参考になる人と全然参考にならないという人がいると思います。なんせ他人だし。そう他人。現時点で仲良くしてたつもりが相手はそうではなかったんだなぁって気づかせられることがあります。

去る者は追わず来る者は拒まず。昔は去るものを追ってたんですけどね・・・。今更だけど、私はネガティブな嫌われ気質だと思います。でも、家族と相方さんだけはそんな私を嫌いにならない。だから、安心。精神的な支えがあればいいんだけど、それを理解できるかどうかってことも重要なのかもしれません。SNSで出会った人たちでたった一人だけでも、付き合い続けられる人とであればそれはとても幸せなことだと思っています。

他人(自分が大事と思う人以外)のことは、知らないって思いたいところです。

なかなかそれができないんだけど。でも、そこは反射神経を信じて、ネットリテラシー。こういう考え方もあるんだなって感じてくれる人がいたら、とてもうれしいなぁと思います。

最後に・・・・

うまく言えなくてすみません。謝り気質もいけないのかなぁ。これを自答自問といいます。これを繰り返して、自分の収まりやすいSNSとの付き合い方をみつけるというのが本当かもしれません。私もイロイロ傷ついてはいるんですけど、でも、真摯に対応しています。親しき中にも礼儀あり。

今度、私がやらかした自己啓発系のセミナーにいくら使ったかも書いてみたいと思います。ある意味、陰キャの私が陽キャに叩きのめされる様が垣間見れます。

またしても、徒然なる文章にお付き合いしてくださっている方がいたら、ホントありがとうございます。

最後に松葉杖(軽いよ)心配してアピールではありません!

写真のないブログなので笑。

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そのうち誤字脱字なおします。