40歳からのブログ MSWの日常

ソーシャルワーカー備忘録。雑記。旅行記。軽く福祉。

【雑記からの福祉】いきなりですが、私が多分DV被害者だったであろう話をしたいと思います 思い出話と制度の話

はじめは結婚の話をカタカタ書いていたのだけど、ほぼDVの話をつらつら書いていたので、DV(ドメスティックバイオレンス:domestic violenceの略)の話をしたいと思います。思い出話ですがお付き合いください。また、今経験しかけている人がいたら、まずは逃げることをお勧めします。

DVとは明確な定義があいまいですが、厚生労働省は「家庭内暴力とも呼ばれる。家族の間で行われる身体的または精神的虐待行為のこと。」としています。

www.gender.go.jp

気になる人は▲をご参考ください。結果長文になったので、今回は目次をつけておきました・・・・。

こうしたことがありました。かなりバカな女の話ですがきっと私もDV経験者じゃないかな。

以下、思い出話です。地名などはフィクションです。

離婚までして手に入れた彼がいた

私の最初の結婚は23歳のころ。夫は2つ上のバイトの先輩だった。しかし彼は結婚後とても忙しかった。

仕事は先物取引の営業。

とにかく成績のために遅くまで仕事をし、日曜はずっと寝ていた。会話はほとんどなく夫の食事を作ることはほとんどなかった。

そんな生活が4年も続き、彼の対する愛情がなくなり私は自由に外に出歩くようになった。こうした中、ある男性を出会い、好きだと思うようになった。

当時の私は、好きな人ができたイコール離婚という考えの持ち主だった。

今思うと幼く我慢をしらない浅はかな女だったと思う。しかし、私は彼に一方的に離婚を切り出し納得させた。

離婚後、彼と暮らし始めたけれど・・・

その後、私は姫路に行った。好きな人と暮らすために。しかし、その彼はいっしょに暮らすと暴君のようだった。

とにかく貧乏極まりなかった

生活が本当に厳しくて、クリスマスの飾りつけは、川や森で拾ってきた松ぼっくりや枝やどんぐりで作った。田舎だけあって、当時はまだ川もキレイだった。だから食べれる草をネットで調べ取りに行ったこともあった。

お米は彼の実家からもらっていた。姫路と言っても姫路市ではなく田舎のほうだったためか、お米は精米前のものを渡されることが多く、私は人生初の精米機経験を28歳のころにした。

私が仕事を始めると彼の束縛はひどくなった

生活資金が底をつき、私は仕事を始めた。

姫路から神戸まで2時間ほどかかるところでWEBサイトの構築を手掛けるいわゆるベンチャー企業で社長の

「震災後に仕事がない、家もないという人たちを集めて、この会社を立ち上げた」

という言葉に感銘を受けて入社した。だた、残業が多く、たまに終電を逃すということがあった。

そんなとき、社長が神戸から姫路まで車で送ってくれた。送ってくれること2回、彼がそのことを知り、大激怒。仕事をやめろと切れまくった。

そのキレ方にびっくりして、仕事を辞めた。

やめないと会社に怒鳴り込みにいくという。本当にしそうなので、家庭の事情でという形ですぐ辞めることになった。

そのころ、もともと友達に知人の彼氏と紹介された男性とやりとりが始まった。

であったころは夫、彼女がいたものの、現在私は離婚し今の彼はDVまがいのことをしてくる。その男性は彼女の浮気をしり別れるかどうか悩んでいた。双方、相談しあうようになった。とても頼りになる存在だと思って感謝していた。

すると、彼がそのやりとりを発見しまた激怒。ものをなげるようになっていた。PCや携帯のチェックが始まったのはこのころだったと思う。

今思うとこれはDVなのではなかったか

当時はDVに対して私はさほどの認識はなく、おびえながら暮らしていた。当時は福祉とは無縁無関係だったこともあって、DV防止法なんて知らなった。

ただ、私にも限界があって、「私が別れたいと言ったらどうする?」とつい彼に聞いてしまったのだった。彼はもちろん烈火のごとく怒りまくった。

怖かったその日の出来事

まず、皿を投げられた。多分私にあてる気はなかったのだと思うけど、お皿は私の後ろで「ガシャン!」と壊れていった。

お皿がなくなると、彼は私の首根っこをつかんで寝室のベットに押し倒した。首を絞めようとした。そしてそのとき「今日はせっかく出掛けてプレゼントを買おうと思っていたのに」といったような気がする。確かにその日はクリスマスイブだった。

そのあと、彼は、お風呂にはった水の中に私の頭をいれた。死ぬかと思った。首を絞められたときは、力もそこまでではなく脅しだと思ったのだけど、お風呂の水にガバっと顔を沈められたときは、ぞっとした。正直、一番の恐怖だった。

顔には何も傷はつかないのだけど、服はなぜかびりびり破かれた。

そして、最後は何かわめきながら出ていった。

記憶にはないけど、もしかしたら軽くたたかれはしたんだと思う。

彼がでていったあと、ある程度パニックになり記憶があいまいだった。多分、警察に電話しようとしたんだけど、その前に彼の実家に電話をし彼の父親に事情を説明していた。

そのあとは、家の鍵をかけ、彼の父親が来るまでじっと部屋の隅でカタカタ震えていた。

私がまず頼ったのは彼の父親だった

もしかしたら、彼の父親はとにかく怒ったら恐ろしく彼も父親の怒りにはおびえていたことを思い出したのかもしれない。

一時間もすると、彼は戻ってきて家のドアを開こうとしたが私がカギをかけたため、家に入れない。合鍵はもってでなかったから。

「あけろ!!!」と怒鳴る声が続いた。でも、開けない。お風呂で窒息させられたことがとにかく恐ろしかったから。

そのうち、彼の父親が到着し、彼をいさめた。そして彼は一旦、彼の実家に帰っていった。

彼の父親が部屋に入って、私はことの顛末を彼の父親に話した。

もともと私は、姫路にきたとき彼の実家に住んでいた。彼の両親や妹とは親しく良好な関係を築けていたのが幸いだった。

父親は、破られた服と私が濡れた状態でいること、家の状態(お皿が割れて、水が飛び散ったあとなど)をみて状況を把握してくれた。

殺されると本気で思った私は彼の父親になきついた そしてその場からそっこう逃げた

私は、一刻もここにいたくないし実家に帰りたいと父親に泣いてすがった。しかし、生活が厳しく私の貯蓄も使い果たしたことも伝えた。

彼は当時いわゆるゲーマーで生活費の一番の無駄は彼のゲームセンター通いだった。やめてくれと頼んだときに一度キレられているので、文句は言えなかった。

その話も改めて父親に聞いてもらった。

彼の父親は職人気質で面倒見もよいいい人だった。私の帰りの新幹線を用意し、私を見送ってくれた。その後私のとりあえずの荷物を母親が送ってくれることになった。私は新幹線の中で、彼と離れることよりも彼の家族と離れることがさみしくつらくて泣いていた。

行き先がなくてこまっていたけど、捨てる神あれば拾う神あり

新幹線から降りて、実家にいきなり帰るとなるとこの状況を説明しなければならない。心が疲弊していた私は、もともと相談にのってもらっていた友達の知人の彼であった男性に連絡をした。状況を話すと、そのままそこで待ってるように言われた。

30分もするとその男性がやってきた。「大丈夫か」と聞かれたが大丈夫ではないので、私は黙っていた。

すると男性は、スーツケースをもち、「うちにいこう」と言った。付き合ってもいない人の家にいくことはためらわれた。異性だし。

しかし、彼は、同性だと思ってついてきてほしいと私を説得した。いくところもないし、そのときの私はとにかく誰かにすがりたいという思いが強く、男性のいうことに従った。

一つ年上の男性宅に間借りするどうしようもない状況になった でも、逃げる場所は重要ってこと

男性は、3DLKに一人暮らしをしていた。今思うと、彼女がシングルマザーだったのでその彼女と一緒に暮らすために大きな部屋を用意したのだと思う。私はその中の1部屋を間借りすることになった。

秒で彼から逃げたが、そのあとの話

彼の両親と職場から「助けて」という連絡が入る

その後、彼の両親から連絡があった。彼が仕事に行かず、抜け殻のようになっている。どうか助けてもらえないかという内容だった。なぜか、職場の人も私の携帯番号を知っていて、そこからも彼の出社拒否を案じていてなんとかならないかという連絡をもらっていた。

確かに別れ話もせずに逃げ帰ったこともあって、彼は茫然としているかもしれない。ただ私には恐怖がある。でも、両親のことは好きで仕方がない。迷った挙句、いったん、一泊二日で姫路にいくことにした。泊まる場所は彼の実家。

今思うとしなくていいことだった ほっておくのが正解

一緒に住んでいた家に彼の父親と行ったが、扉はあけてくれない。父親には車で待機してもらって再度、玄関のドアをたたくと彼がでてきた。

彼はもともと筋肉質だけど細い人だったけど、筋肉もなくげっそりとしていた。家の中は私がでていったときの散乱具合がそのまま残されていた。

本当にこれでよりを戻したらダメなパターン

私をみると泣き始め、許してくれと膝をついた。許す許さないもまず、家を片付けようと提案したが、泣き続ける彼。

暴力に訴える様子はなかったことと何かあったら父親がかけつけてくれる安心感から、私は急いで家を片付けた。

そのあと、お米はあったはずだとおかゆをつくり、彼に食べさせた。先の号泣からは落ち着き、涙はハラハラと流す。

食事のあと、お風呂にも入っていない様子だったので、彼をお風呂場に連れて行った。お風呂で窒息しかけたので恐怖があったが、とにかくきれいな状態にして話をつけたいと考えていた私は勇気を出して彼の身体を髪を洗った。

着替えもさせ、髪を乾かしたころには彼の涙は止まっていた。

もう二度としない、許してほしいの繰り返し

「許してほしい」「帰ってきてほしい」の言葉ばかりいう彼。私は黙って反論もせず彼の言いたいことを言わせていた。途中また泣いていた。

彼の言葉がやんだ後、私は彼に「仕事に行ってほしい」とそのことを伝えた。

両親がとても心配していることや職場の上司からも連絡がきたことも説明した。

別れる別れないということではなく、仕事をやめるなら、退職届をださないといけない。それと無職では生活ができない。いったん実家に帰ろうと誘った。

意外に早く出社拒否の件は解決した

彼は泣きながらも意外にもあっさり仕事に復帰することを約束をした。明日にでも仕事にいくと。

しかし「別れたくない」という言葉をずっと言っていた彼。私はその言葉に関してだけは何も答えなかった。2時間ほど滞在していったん彼の実家に帰った。別れ際に「ボクのこと好き?」と聞かれた。迷ったけれど本当のことを伝えた。

彼と最後のした会話

「好きという気持ちは一日でさめることはない」

「好きだけど、それ以上に殺されるかもしれないという恐怖が勝っている」

涙を流し「別れたくない」と繰り返す彼に「明日会社に行くんだよね」と確認した。「別れたくないのであれば、社会人としてちゃんとしてほしい」とうそをついた。

ちゃんと「別れる」「二度と会わない」という言葉が言えなかった。

彼は少し嬉しそうに「仕事をがんばる」と言った。

そのあと、彼の実家で一泊して両親に状況を説明し、彼の会社の上司にも連絡をした。彼が出社したら、彼の実家に連絡がはいることになった。

その後、彼の出社を確認してから新幹線に乗った

翌日、彼が出社したと連絡がはいった。確認したところで、両親に頭を下げた。私は彼も好きだったけど何より両親や妹が大好きだったこと。この家の一員になりたかったこと。本当はこの家を離れたくないことを伝えた。また、連絡はまたいつでもしてもらって構わないこと。ただし、彼とお付き合いを続けることができない、あの恐怖はきっと自分自身のトラウマになるだろうこと。一緒になれない理由も伝えた。

そうして彼との関係は終わりとなった

そして私はまた、その男性の家に戻ることになった。やはり、新幹線のホームまで見送りをしてくれた彼の両親。その手を離すのが辛くて辛くて涙が止まらなかった。彼らの泣いてくれた。今思い返しても彼の両親ほど私を大切にしてくれた彼の家族はいないと思う。今でも私にとって彼の両親は大事な存在なのは変わっていない。

その後、彼の両親からも職場からも連絡がくることはなかった。彼から何度も連絡がきたが一切でなかった。一年もすると彼からの連絡はなくなった。

DVについて思うこと(結局ここからちょっと制度の話)

話盛ってない?と思われるかもしれませんが、地名以外は事実です。彼本人がみたら、オレのことだってわかるかもしれません。

さてさて

www.gender.go.jp

私は初期のころから、DVを受けていたと思います。(以下、http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/dv/02.htmlより引用)

DVとはおおまかに

  • 身体的なもの
  • 精神的なもの
  • 性的なもの(当時の私はこれは非該当)

に分かれています。私の場合は、はじめのうちは精神的なDVをうけていたと思います。

  1. 大声でどなる
  2. 「誰のおかげで生活できるんだ」「かいしょうなし」などと言う
  3. 実家や友人とつきあうのを制限したり、電話や手紙を細かくチェックしたりする
  4. 何を言っても無視して口をきかない
  5. 人の前でバカにしたり、命令するような口調でものを言ったりする
  6. 大切にしているものをこわしたり、捨てたりする
  7. 生活費を渡さない
  8. 外で働くなと言ったり、仕事を辞めさせたりする
  9. 子どもに危害を加えるといっておどす
  10. なぐるそぶりや、物をなげつけるふりをして、おどかす

半分ちかく当てはまります。

そして、最後私が耐えられなくなったのが「身体的なもの」でした。

  1. 平手でうつ
  2. 足でける
  3. 身体を傷つける可能性のある物でなぐる
  4. げんこつでなぐる
  5. 刃物などの凶器をからだにつきつける
  6. 髪をひっぱる
  7. 首をしめる
  8. 腕をねじる
  9. 引きずりまわす
  10. 物をなげつける

赤いところが私が与えられたDVですが、この中に「顔を水に沈めるも」つけてもらいたいです・・・。

私は、一日に身体的暴力を受けたためすぐに逃げてしまいました。実家を飛び出してきたようなこともあり、実家に帰ることができずに男性ですが知人がかくまってくれました。逃げ場が一番大事です。

逃げ場がないと思って迷ってしまったら

簡単?と思うかもしれませんが、最寄りの警察でもいいと思います。交番でも構いません。交番がだめなら、役所です。日曜はやっていないこともあるので、その場合、やっぱり交番になるのかもしれません。

別件で私は交番にかけこみ、警察署で寝たことがあります(その件はまた書きます・・・)。

とにかく身一つでも、逃げることが大事だと思います。

相談先▼

www.gender.go.jp

私は相談する前に逃げろ!って思いますが、許したら負けと思っています。どんな卑怯なことを言っても逃げたもの勝ち。

最後に思うこと

結局、DVで苦しんでいる人が苦しまないでいい世の中になるといいと思っています(本来、どんな人も苦しくない世の中が理想・・・と言えば理想)。今は、コロナの影響で家の中が殺伐としている家庭もあるかもしれません。

当時の私は28歳と若くもなく知識もない状況でした。でも、逃げ先がたまたまあったらからよかったのだと思います。

彼のもとにやっぱり帰りたいと帰ってしまう人もいるし、夫婦仲がもとに戻ったという家庭もあるかもしれません。でも、やはり暴力を一度ふるった人はまた振るうと思います。程度の問題もあると思いますが。

ちなみに、私が受けた心の傷は当分消えませんでしたし、今も男性が手をあげると、その場から走って逃げます。その後の精神的なケアも必要なのだと思います。

つらつら書いたらエライ長い文章になってしまいました。

自身の恥部をさらしていますが、もし、この話をきいて逃げていいんだと思える人がいたらいいなと思います。

最後まで読んでくれた人がいたら、ありがとうございます。6000字越えは久しぶりかもしれません。誤字脱字はそのうち直します。

追伸

(いきなり話変わるけど)社会福祉士の方は、受験範囲です。ここのリンクに貼ってあるページをみてみてください。高齢者虐待なども並行して覚える感じです。