僕は文具が大好きだ。手持ちの文具に、それぞれ思い出があるからかもしれない。特に万年筆やボールペンだ。一番大事にしているのは、別れた妻からもらったパーカーのボールペンだった。白いボディが気に入っている。とても大事な思い出が詰まっていた。
僕らの年代になると周りはモンブランやペリカンといったブランドのボールペン・万年筆を使ったりする。医者をやってるヤツなんかはモンブランだし、弁護士のアイツはオバマ大統領が使っていたからという理由だけでCROSSだ。
僕は特にこだわりはなかったが、彼女がくれたパーカーをそれとなく持ち歩いていた。万年筆はLAMYを愛用している。このメーカーはブランドというよりも文具メーカーとして僕の財布にはとても優しい。これはこれで大事な人への贈り物はなぜかLAMYと決めているからかもしれない。自分が好きなメーカーを相手に送るくせが、どうやら僕にはあるようだ。
仕事で使うボールペンはジェットストリームという。書き味が滑らかだし、裏うつりが少ない。
ジェル状のボールペンも使ってみたところ、僕の手帳は巴川製紙所の超軽量印刷用紙トモエリバーという紙で作られているのだが、ジェル状のボールペンは色映りしてしまう。他のボールペンでも試したが、一番、書きやすく色映りしないのが、ジェットストリームだ。
ただ、このジェットストリームには僕なりに感じる問題点がある。お手頃価格はとてもありがたいのだが、40を過ぎた男が持つには少し安っぽい。いや、そこまで見栄を張る必要性もないのだが、年相応という意味ではもう少しだけ高級感が欲しい。
本当に小さな僕の見栄。高級感を求めるにも、このジェットストリームにはビジネスで使えるようなスタイルのものは発売されていない。とても残念だ。
しかし使い勝手のよさはやはり否めないので、仕事では「見た目じゃない、見た目じゃ」などと、誰にいうこともなく、自分のちっぽけな虚栄心に言い訳しながら、ジェットストリームを使っていた。
寒いな・・・。
ある日、取引先との打ち合わせで新宿に出た。僕と取引先の担当者とは親子、もちろん僕が親だ。それほどの歳のひらきがあると思われた。
だからか、書類を書くときに、僕は少し見栄を張っていつもは使わないパーカーのボールペンを使った。
しまった!と思ったときはもう遅かった。久しぶりに使うのでボールがうまく動かずインクが切れ切れになってしまったのだ。
相手は素早く、何も言わず、綺麗なシルバーのボールペンを差し出してくれた。
「すみません、ありがとうございます」
僕はバツの悪さを必死で隠すために笑顔でそう言った。手がかじかんだという言い訳も成り立たない。ここは潔くあきらめた。
そして、そのボールペンを使ってみてあることに気付いた。書き味が、ジェットストリームそっくりなのだ。書きやすい。
「このボールペンすごく書きやすいですね!」
相手は笑ってこう答えた。
「私、ジェットストリームというボールペンが好きなんです。でも、なかなか仕事で使えるタイプがなくて・・・。だから、自分で気に入ったボールペンとジェットストリームの軸に細工をしたんです。その細工したボールペンがそれです。」
僕が今この手に持ってるペンだ。
「私も、ジェットストリーム派なんですよ!カッコつけて、慣れないボールペン出したわりに・・・」そう正直に伝えた。すると相手は
「そうなんですか?書きやすいですよね!」と素敵な笑顔でそう答えた。
僕も嬉しくなって、うんうんとうなづいた。
「しかし、いいな~このボールペン!」ついそう言ってしまった。
相手はクスクス笑いながらも
「それ差し上げましょうか?」
僕は意外な相手の申し出に驚いた。しかし、考える前に「いいんですか?」そう口から答えがでてしまっていたんだ。
そんな前のめりな僕に笑顔で「ご迷惑でなければ、ちゃんとしたの、お渡ししますよ」そう言ってくれた。
いや、そんな迷惑はかけられない。しかし、社交辞令も含まれているだろうと思った僕は、「ではお願いします」きっと嬉しそうな顔は相手にも伝わったと思うのだが、そう答えた。僕は子育てをしたことはないのだが、この子はとても気立てがよい、しっかりした家で育ったんだろうな・・・そんなことを思った。
打ち合わせが終わったとき、雨が降っていた。これは雪に変わるだろう。タクシーで、取引先を経由し担当者を降ろしてから僕も会社に戻った。そのころには雨は雪に変わっていた。
それから数日後、会社に郵便が届いた。誰からだろうと知らない名前からの郵便物。
封を開けると、2本の見覚えのあるシルバーのボールペンがあった。黒と赤、両方ある。さらに丁寧に替え芯まで入っている。そして「タクシーで送ってくださってありがとうございました」とメッセージが。
ちょうど、今日、雪の日に乗ったタクシーの領収書を経理に出そうと思っていた僕は、そのメッセージをみて、慌てて領収書を破いてしまった。
郵便は「それ差し上げましょうか?」とクスクス笑った彼女からだった。書かれた名前を改めてみると苗字が変わっている。そうか、彼女、結婚したのか。気付かなかった。
僕は彼女の名前を漢字でどうかくのかまで知らなかった。改めてみるときれいな漢字だな・・・・こんな風に書くのか。ふと、彼女の笑顔を思った。
大きく深呼吸をしてその思いをふわっと味わったあと、僕があと20歳若かったらな・・・彼女が結婚していなければな・・・なんて妙な言い訳をしながら、そのシルバーのボールペン、ジェットストリームで今日のスケジュールをメモに書き入れていった。
ただ、お礼は何か迷惑にならない程度にしたいんだけどな・・・。楽しみもひとつ増えた。
僕の文具に思い出がまたひとつ加わったようだ。