40歳からのブログ MSWの日常

ソーシャルワーカー備忘録。雑記。旅行記。軽く福祉。

「優しさ」についての備忘録

ここ1ヶ月体調が悪く風邪をひいては、寝込みの繰り返しの日々が続いていました。もともと産後より体質の弱い私だったので慣れてはいますが、今回は精神的に追い詰められたのか、なかなか辛いものがありました。

これからはもう少し食べものなどに気を使い、年相応に身体を大事にしていきたいと思いました。

だけど、今回そう思えるまでには時間がかかり、なん年ぶりだかわかりませんがとても辛い時期を過ごしたなぁと実感しています。

でも、そんなとき「優しさ」って・・・と思うことがあったので書き記しておきたいと思います。

私たちソーシャルワーカーは仕事上では優しいと言われがち

仕事上、関係者には優しいいい人と言われがちです。でも、仕事ですしお金をもらっていますから、基本寄り添い姿勢は崩しません。相手を思いやりその人の困りごとを社会制度や社会資源を利用し問題解決するのがソーシャルワーカーの仕事でありやりがいだからです。ちなみに優しい人集団ではありませんのでご注意を・・・・。

でも、そんな仕事についているからこそ感じることがある

優しさって暖かいもの。私はそう思います。仕事もお金を払ってるから優しさを提供しているのではありません。ただ、やりたいからやる。その程度の浅い理由です。

対人関係も私は同じことだと思います。

ソーシャルワーカーでもたまに、やってあげた感を表に出す人もいます。私はそういう人をみると

(それがお前の仕事だ。ボランティアじゃないんだから、やってあげた感いらん!)

そんな風に思います。

友達同士であるとそれはなかなかわかりやすく、やってあげた感を押し付ける人がまれにいます。私はそういう人を責めるつもりもありませんが、私は本当に優しい人は見返りを求めていない場合が多いと考えています。私を助けたとして、「ありがとう」の言葉さえ望んでいないような。

幼い頃から父親に言われていた優しさとは何かということ

「自分が辛い時に人に優しくできるかどうか」そこで真価が問われる。

これは私が幼い頃から父に言われていた言葉です。人は自分の体調の良いときは当たり前に人に親切にする。しかし、自分が辛いとか誰かを助けることができるかどうか、そうした人間こそが優しさとは何かわかっている人間だ。そのような人間になりなさいと。ハルさんが生まれたらハルさんにもその教えは引き継がれています。

そして、本当に人に善を施す(助ける時)人はまずその行為を人に言いません。先程言ったとおり見返りも求めません。

私はそういう人は、真に優しくそして強い人だと思います。

そして、最近受けた本当の優しさ

先日、その父の教えとほとんど同じことをいう人を知りました。正直驚きました。あまりにもタイミングがよかったためか。

その人の話をきき、またその人の別の話をきき、私はここ数日忘れていた「笑う」という行為を思い出しました。作り笑いではなく。

笑いは最大のクスリです。4日寝たきりだった私にはとても強く響きました。笑わせるセンス大事。

その人は私を助けても一銭の得にもならないのに、軽口を叩きながら大笑いしていました。強い人だとそう思いました。

結構、この世の中優しさで溢ふれていた

ずっとふさぎ込んでいた私ですがその人と話をしてから周りをみたら、思ったより優しさが周りに散らばっていたことに気づきました。

私が体調がしんどいからと、打ち合わせをしに私がタクシーで動ける圏内まで来てくれた人。何より私がやらなければならないことを引き受けてくれた。

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ブログのコメント欄に言葉を残してくれる人。

メッセージをくれる人。

大小関係なく、気づけば優しさは散らばっていたこと。3日前はそんなことも気づけず、寝たきりでした。でも、あの人に笑わせてもらえたおかげで、私は周りの優しさに気づくこと、甘えることができました。

優しさとは、父の言葉に付け加えるとするならば

「自分が辛い時に人に優しくできるかどうか」「そして、自分が辛いとき周りのさりげない優しさに気付けるかどうか、それに感謝できるどうか」そこに優しさの真価が問われる。

私はそのように思いました。私はまだまだでした。

結果、私は風邪は治りましたがまだ寝たきりは継続中。明日から仕事をするために無理やり起きるのですが、一歩前に進めたと思います。

ひどい思いをしたと思いましたが、いまは、こうした大切なことに気づくきっかけを貰えたとその出来事に感謝しています。

誤解のないように一言付け足すとするなら、ここ数日で私に親切にしてくれた人たちはSNSなどを使って誰かを助けるとかアピールは一切しない人たちでした。