年末年始のころ、母が「なんかさっちゃんががんになったらしい」と私に告げました。さっちゃんとは、母の妹、ひとまわりほど年齢が離れており現在61歳。
私は幼い頃、夏休みは、毎年沖縄に行っていました。母方の親戚関係は非常に複雑で、母とさちねぇは若い頃はあまり仲良くなかったようです。
沖縄の戦後、沖縄の長子第一主義、そんな環境にそだった2人にはきっと何かあったんだと思います。
でも、私の祖母がなくなったころ。ちょうど、ハルが産まれた3日後に脳出血で祖母は他界しました。
私が出産後だったのに急にいなくなる両親。今はその気持ちがわかる。
そして、母とさちねぇはその頃から、過去を精算するように仲良くなっていたようです。私も、ねぇねぇの家によく行くようになったし、ねぇねぇの旦那さんは超絶イケメンです。そしてイケオジになりました。
年明けに、さちねぇがガンときいて、部位や状況を聞きました。かなり母に厳しくきいたと思います。職業上、100人以上の患者さんとさよならしてきました。だから怖かった。
すると、さちねぇはみんなに心配かけたくないから言わなかったって言ってたようです。
その時、母に「私が沖縄に行って話をきいてくる!」と言いました。頬に悪性の腫瘍ができた、でも、手術して治ったっていってたよという母に激怒する私。
おばあちゃんの死際に会えなかったトラウマがきえていない。16年経っても。ハルの誕生日を迎えると祖母の毎日を想う日々。おばあちゃん、ハルをみせたかった。その想いが私から離れない。
だから、お母さんにそんな思いをして欲しくない。
「でも、さっちゃんの旦那さんが大丈夫っていうから」という母。父方の祖父は心筋梗塞。母方の祖母は脳出血。だから、がんという言葉が母にははいっていかない。
本人が大丈夫だからという言葉をそのまま鵜呑みにしてしまっていました。
私は祖母を亡くしたときに、がんではなかったけど後悔しました。私が愛しているのは父と母とハルです。その大事な母を傷つけたくない。そんな勝手な思いが先立って、だったら、2月くらいに様子を観に行く。観に行くのが一番早い。
「でも、さっちゃん、自宅療養してるっていってるからかえって気をつかわせて迷惑じゃないかな」という母。迷惑でもなんでも状況把握だけして帰ってくるよ。ここで役立つ飛行機修行。
那覇までの飛行時間は私にとって、全然苦にならないの!!!
日帰りでいいから、様子をみてきたい。頬にがんとか、怖すぎる。
仕事にかまけて、私自身もさちねぇの様子は2月にしようと航空券の予約を考えていました。
ガチで考えていたところ、家に帰ったら、誰もいません。父から、さちねぇが危篤だと聞かされたのです。え?なんで?という気持ちとだからいったじゃないかという気持ちが入り乱れました。
まず、父とハルさんの航空券をおさえました。
母は事情があり、あとのりです。
危篤状態から一般病棟に移ったところでかけつけた私。
経口摂取はならず、尿もバルーン(興味のある人は調べて)、管がいっぱいついている。そして、大好きだった祖母にそっくり。今日明日どうなるわけでないからという医師の言葉を信じて仕事があるため、東京に戻りました。
そして、今日の朝、
「さっちゃん、死んじゃった」という一声。
「うん、わかった」
それ以外の言葉が思いつかず、LINEを切ってしまいました。
念のために父とハルの飛行機はおさえていたので、先に沖縄に向かわせました。
私は一週間休むつもりで、仕事を片付けに職場に向かいました。私の職場はどれだけ仕事をしても認めてくれない職場。そして、ミスには激しく厳しい職場。なので、いきなり面談をずらすなど、月曜日以降、私の仕事がない状態にしました。クビになったらそれはそれでもういいよ。
空港には電車では間に合わないので、電車とタクシーを使ってなんとか23時にはさちねぇのところにつけるよう手配しつつ仕事をしていました。
あとは、知らない。
うちのクリニックはどうだろ。協力し合う相手がとても少ない。だから、泣くこともせずに後で院長に怒られないよう整えて、電車にのこみ、タクシーの運転手さんにお釣りはいらん!といい飛行機に乗り込みました。とてもいい運転手さんでした。
ちなみに、さちねぇのことは職場に伝えましたが、誰からもお悔やみはなかったですね。そういうところ。
話はそれたけど、年末、さちねぇはガンと言われて手術していました。だけど、さちねぇの言葉を信じてさちねぇのところにいかなかった母。
そのとき、頑として「いま、いかないと後悔する」といった私。なんせがんの部位や転移、その他検査結果を知りたかった。今なら会える。その機会を潰したくなかった。もし、快癒にむかってるならそれはそれでよかったんだし。
何度も何度もがんでは患者さんを見送った。相談員でも、見送ることってあるんです。
そのときどき、この家族は最小限のくいで、見送れたのか、ほかに何かできることはなかったのか。
昨年は同年代の患者さんの死際に看護師もこなくて、顔を拭き髪をとき、白目を閉じ、リップを塗り、泣きながら彼女の死を家族が来るまで待ちました。私がそばにいても意味がないの。その人を愛する人たちがそばで声をかけてあげることが大事なの。そう思ったことを思い出しました。
母のように実家が遠く、飛行機何時間という人も少なくないと思います。
今は、2人に1人はがんで亡くなる世の中です。
人の命はろうそくの炎をふっとかき消す程度で、そんな感じであっさりさらっと神様が持っていってしまいます。
だから、もし、このような会話が起きているなら、元気であることを確かめてあげてください。元気だったら、それはそれでよかった!
たいしたことなくてよかった!
そう言ってみんなで安心してあげればいいんです。
もっと早く気づいて話をしておけばよかったとかんでしまっては遅い。死んだ方はもう三途の川が天国か。でも、残された私たちはどうしたらいいんだろう。絶対に後悔はします。
後悔しないお別れをみたことはあまりありません。
だからこそ、その後悔を少なくして欲しい。
私はいつもそういう気持ちで医療ソーシャルワーカーを続けています。
「絶対に今すぐ会いに行け!なんなら私がいってくる」といいつつ、1ヶ月それを先延ばしにした私。
娘に「会いに行くべし」と言われ行かなかった母。のんびりした母の性格を考えるのであれば、やはり私が率先して行くべきでした。そして病状を把握して伝えてあげればよかった。
今は後悔しかない。
さちねぇごめん。お母さん、ごめん。
大好きなさちねぇ。大好きなお母さん。どう支えていいか全然わからない。何もできなくてごめんね。
もし、こんなブログだけど、読んでくれて少しでも感じるところがあったなら、
人は死ぬ
ずるずるするときもあれば、あっさりの場合もあります。どうか後悔のより少ないお看取りを。そして、私たちも死にゆきます。
私自身、目を閉じるそのときに
生まれてきてよかったと思える生をまっとうしたいと思います。
ただ、重ねてになるけど、本当に私のように後悔して欲しくない。
そう思って久しぶりにブログに書きました。
会える人に会えるときに会ってきてください。神様は残酷なほどに大事な人を連れ去ってしまいます。
久しぶりのブログの内容がこんなで、ごめんなさい、飛行機の中、考えていたことをつらつらと書きました。また日をおいて誤字脱字チェックします。
会いたくないな、さちねぇに。
追伸: 介護福祉士、社会福祉士、精神保健福祉士、試験頑張ってください!!!