実は好きな人がおりましてね。
結構前なんですけど、カラオケに行ったんですよ。いまいち、backnumberを上手に歌えなかったので再挑戦をしたいと思っています。一緒にカラオケに行けたことが嬉しかったので、ついついその人に仕事の話をしてしまいました。実は人の話を聞いていないという話をしたので嫌われてしまったかもしれません。だから、「でも、本当はちゃんと人の話も聞いてるんですよ」という言い訳をここでしてしまおうと思います。
その仕事の話というのが、私がよく使う言葉たちの使い方です。
仕事のとき「傾聴」か「傾聴モード」の二択しかない私の話です。
ソーシャルワーカー目指している人は必須です。私も上手にできていませんができるようになりましょう。
傾聴ってなに?
最近、人の話を聞く力とかいろいろな本がでていると思います。私は読んだことがありませんが、傾聴が大事と書かれているはずです。なぜ私がそう思うのかというと、「傾聴」なくして相手は自分のことを話してくれないからです。
傾聴=《名・ス他》(耳を傾けて)熱心にきくこと。
傾聴:私なりの解釈
真面目な話、私の中で本気の傾聴とは「相手の話をきくだけではなく、その心に寄り添う」ことだと思っています。私自身この仕事について首のねじが外れたのかと思うくらい首が縦にゆれるようになりました。これは訓練です。イヤでもなんでもいいので首を縦に振る癖をつけようと思うと最低1か月継続していれば、人の話を聞いていると首が縦にふれるようになります。意識して1か月。でも、この首振りは傾聴とは言いません。あくまでも相手の気持ちに寄り添う。共感ほどまではいかない、そっと半歩さがって寄り添う感じ。
傾聴本にどんな事が書いてあるかわからないけど練習次第では誰でもできる傾聴姿勢
あくまでもこれってなんちゃってなので、下手な真似はしないように。でも、寄り添う姿勢を持てたなら実践もありだと思います。
ちなみに私は偉い人の説教をくらっているときはたいてい「傾聴モード*1」に入ります。
私の3種の神器的言葉「ですよね」「そうなんですね」「なるほど」
あくまでも私の場合ですが、たいていこの3つの言葉で敵から逃れるようにしています。全部フィクションです。事例です、事例。
例:患者さんの家族が主治医の手術の腕が悪いと怒り狂ってやってきた場合
家族:「なんなの!あの医者!!!」
私:「何があったんですか?(めっちゃびっくりする)」
家族:「自分のことをすっごい医者だとか言っておきながら最低じゃない!」
私:「・・・・・なるほど・・・・」
家族:「人の話もきかないし、それにそもそも手術が成功したかどうかなんてまだまだわからないじゃない」
私:「ですよね・・・・」
家族:「診療代払えっておかしいでしょ!!!!」
私:「なるほど。」
家族:「こんな病院信じられない」
私:「う・・・・ん、なるほど・・・」
家族:「転院させろって言っても医者が鼻で笑うんだけどどういうこと?」
私:「そうなんですね・・・」
家族:「だいたい看護師だって全然優しくないし」
私:「そうなんですか?」
家族:「すごいひどいのよ・・・(たいてい1時間は続く)」
私:「そうなんですか」
こんな調子です。「そうなんですか」はたまに「そうなんですね」に変化することもあります。
私がなんでこのワードを多用するのか考えてみました
これらの言葉はすべて共感してるということにつながるのだと思います。実際に共感してなくてもとりあえず、使っとけ!的に利用することがあります。特に上司からのあらぬお叱りはすべて「傾聴モード」です。
そのとき必要なのは相手が「コイツは自分の話を聞いている!」と確信すること、それがとても大事なのです。私が話を聞いていてもいなくてもそれはどうでもよいのです。面倒な文章かもしれませんが、大事なのは「相手がどう思っているか」。私の気持ちなどどうでもいい。私が相手の話をしっかり聞いていると相手に思わせることができればミッションクリアです。
▲傾聴・傾聴モードあとの私の視界
「傾聴モード」はだいたい午前に一度は発動されるもので、昼休みは午後に備えて空を見ています。でも、そのときいっつも思います。「傾聴モード」ではなくどんな人の話も傾聴できる性格であればよかったのになぁと。
でも、私にそれは似合わないな・・・と思って仕事に戻ります。
時間のあるときに、傾聴についてのんびり書いてみたいと思います。傾聴するときは相手の言葉をおうむ返ししてみたりまぁいろいろとしたほうが良い時が有ります。その話はまたの機会に。
番外編「大変ですね」という傾聴モードがあって、それはカラオケ後にその人に熱弁してしまいましたので、他の人には言わないことにしたいと思います。
時間有る時に加筆したいです。
*1:傾聴どころか人の話聞いていないモード