私が生まれたのは沖縄が本土に復帰したころだったため、私は母のおなかにいたとき日本いて、パスポートを利用し沖縄に戻りました(母がね)。そして、私が産まれて少しして沖縄が日本に返還され、変えるときパスポートなしで東京にも戻ったそうです。そのとき利用したのは、飛行機はJALだったと母に聞いています。
人の親切を素直に受け入れることに慣れていない残念な私
だからでしょうか、私の親戚はみんなJALを利用していて、わが親戚でいちばん発言権をもつ私の叔母その1はJALのダイヤモンド会員*1であることおととい知りました。言われてみれば、暇があれば、海外旅行に行っている叔母です。JALでもANAでも上級会員であっても不思議はありません。
そんなことを知ったのは今回ANAのフライトマイルを貯めようとひたすら飛行機に乗りまくるSFC修行に突入したからだと思います。
叔母のことですから、この話をしたらどんな手段を使っても私の願いを叶えてくれそうなので何も言わずに内緒に飛行機に乗っています。それに私、JALでフライトマイル貯めていないし・・・。
そう考えると知人にも暇があれば知人の大好きなパリにファーストクラスで往復を繰り返す人がいます。彼らも上級会員だと思います。しかし、親戚にさえ、「ラウンジに連れてって」などと言えない私なので知人に同じことを言えるわけがありません。
そして、ハルさんの父親の叔父は航空会社の職員です。
こうしたときに「素直に連れていって」と言える人は得だと思います。私はそういったことを言えない類の人間で我ながら損をしているなと思いました。私にとって「ワガママを言える=気を許している人」なので、気の許している人が少ないのかなと少し残念な人生かも・・・・と思うことがあります。遠慮は美徳ではないと考える次第です。
そんな私の勝手な【おもてなし】論
私は頼まれる側に回った場合は親戚同様、基本的に「お願い!」なんて言って貰えるととても嬉しくなるのでたいていのことはいたします。何故かというと多分、沖縄人の気質を受け継いでいるからかと思います。沖縄の人(わが親戚一同)はおもてなしが大好きです。しつこい!ってくらいのおもてなしレベルです。これはもはやおもてなしを通り越して壮大なおせっかいかもしれません。
ラグジュアリーって言葉は苦手な私ですが、友達が「素敵な空間でパーティーしたい♡」なんてめっちゃ目を輝かせて言おうものなら、あらゆる人的資源(かっこよくいうとヒューマン・リソース)を駆使してその願いを理想に近づけようとがんばります。
仕事は風邪ひいたふりしてさぼるくせに、友達が会いにくると聞いたりすると熱があっても頑張って待ち合わせ場所まで行きます。マスクは必ずカバンの中です。
しかし、人生「ぼっち」が長いと鼻がきくようになります。ぼっちの気持ちを理解できない人には結構冷たいです。人間は、ひとりぼっちになりたくない人ほど人をぼっちにしたがるという心理が働くのでしょう。ぼっちに優しい声をかけれない、もしくは差別する、そういう人には何もしません。例え陰口叩かれようと嫌われようと、ここまで歳をとるとたいていのことは「死ななければそれでいい」と思うようになるのです。
おもてなしとはどんな小さなことでも心を込めて相手のために何かできることをすることだと思います。数少ない友達満足度1位を目指します。
ここからがまくはるがみた意味のわからないおもてなしの話
さすがに沖縄に何年か住んでいても、何度遊びに行ったとしても、東京育ちの私なので、「それはやりすぎだろう」と思うのは、私が一番親しくしている叔母(ね〜ね〜と呼んでいます)です。わかりやすい具体例がおととい朝起こったので紹介したいと思います。
これがおかしいと思ったおもてなしの具体例
これから成田に向かうという朝、
ね〜ね〜:「ま〜く〜
(こちらの人は2文字のニックネームを持つ人は全てこうした「〜」を挿入します。ハルさんは「は〜る〜」です)
今日夜は、あ〜き〜のお店きて」
と声を掛けられました。
私:「なんでよ~(なぜか語尾がのびます)」
ね〜ね〜:「昨日、お店にきたお客さんの彼女が今日、誕生日だわけ。」
私:「よかったんじゃない?」
ね〜ね〜:「だからよ。今日、あ〜き〜のお店で誕生日会だわけさ。」
私:「・・・・・(またかよ・・・)」
今回は、「二度目まして」の人の彼女の誕生日会なのだそうです。でも、私がハルさん、両親、妹の次に大切な叔母に逆らうことはできません。選択肢はないので、那覇に戻った私はしっかり誕生日会に向かいました。ちなみにその誕生日会は叔母の知人やっているお店でやりました。売上貢献です。ボトルをガンガンいれていました。
さすがに二度目ましてのカップルも恐縮していました。もちろん、バースデーケーキも頼み、何故か私がハッピーバースデーソングを歌うことになしました。私、この子の名前知らないんだけど・・・。でも、若いこのカップルがとっても幸せそうにしているのをみて、暖かい気持ちになりました。
私が朝早く一旦東京に帰るため、じ〜まみぃ豆腐をつくろうと叔母は1時には帰ろうとしてくれました。朝までかとひやっとしていた私はほっとしました。
しかし、最後に叔母がそのカップルにかけた言葉にめまいを起こします。
男性:「本当に今日はありがとうございました!!!」
ね〜ね〜:「気にしない、気にしない!これが【おきなわ】ってわけさ♪」
私はこころの中で速攻(ちげーよ!!!)とつっこんでいました。
あんたがおかしいんだはず。
叔母のおかげで沖縄人みんなこんな派手なお金遣いする人と思われたら大変です。
また、土日は都内に帰るという私に
「じ〜まみぃ豆腐を持っていけ」
「たんかん持っていけ」
「は〜る〜のお年玉だいぶあげてないから持っていけ」
(心の声)
月曜日また来るから・・・・。
万が一沖縄の人と仲良くなっちゃったけど帰るに帰れなくなってしまった人のための豆知識
全ての沖縄人に当てはまるわけではないのですが、那覇のお酒を飲むお店を経営している知人10名弱に実際聞いてみました。あくまでいつものまくはる調べです。(今後、愛のある苦情は受けつけることにします。あまりにも誤字脱字、情報確認ミスが多いので。)
私はたまに従姉妹と飲みに行くことがありますが、ノリのいい沖縄人は初めましての人にもいきなり「おつかれ!」「おかえり〜」と言って乾杯をするときがあります。私は相変わらずそのノリについていけません。とっつかまると相手のペースに飲み込まれることがあります。
カップルが海の砂浜で裸足になってはしゃいでいたら、ビックウェーブがやってきて、2人も波にさらわれ助かったはいいけど2人ともずぶ濡れ、着替えもないけどどうやって帰る?という感じです。
沖縄の若者の朝までは翌日仕事でも朝8時までです。かと言ってこちらも、ひるむことはありません。そこには那覇ルールっぽいものが存在していて、
「いる人は飲みたい人。眠い人は勝手に帰るべし。」
帰っても問題ありません。気をつかって最後までいるとバカをみます。付き合ってその挙句そこで「疲れた」などと言おうものなら「やー(お前)が飲みたいっていたばー」と意味不明なお叱りを受ける可能性があります。
ここまでディープに那覇の夜にハマる人は少ないと思いますが豆知識です。まぁまぁ最近はこうしたことも減ってきましたが、まだその文化は残っているようです。
感想という名の今の気持ち
多分、沖縄の戦前戦後を生きた人たちはとても強いし、相互扶助という概念を持っていると思います。沖縄の人は本当におもてなし好きなのだと思います。もちろん、日本全国親切な人は多くいます。私はSFC修行*2に沖縄ー東京の往復をえらんでしまったので、各土地のその土地なりのおもてなしをしりません。おもてなしして欲しいとかではなくて、いろんな土地に行ってみたい・いろんな優しい人に会いたい。それを真似てみたい。そんなことを思うことができるようになりました。
追記:スマートフォンを沖縄に忘れるという失態をしてしまったため、写真がありません。月曜日以降に行ったお店の雰囲気をのせてみたいと思います。
*1:引用:JALマイレージバンク - JMBダイヤモンド:予約
*2:まくはる認識:スーパーフライヤーズカード取得のために飛行機に乗りまくること